菅沢分校ホームページ_菅沢の史跡
菅沢の史跡
すげざわっ子学習(総合学習)で菅沢の歴史を調べました。すると,私たちのふるさとにはいろいろな 史跡や伝説があることがわかりました。
平成15年度に作成した「菅沢ふるさとパンフレット」に,ここで紹介した史跡の所在などを くわしくまとめています。このパンフレットを希望する方は菅沢分校までご連絡ください。 (TEL,FAX 087-893-0036)

史跡
熊野神社
歴史は大変古く,今から約600年前に 紀州熊野からご神体が移され,建てられました。毎 年10月の第1土・日曜日には秋祭りが行なわれます。 境内には戦国時代の悲しい伝説の残る「耳塚」や,高 松市の名木に指定されている「アカガシ」の木があり ます。
お薬師さん
菅沢分校の南の山には薬師堂があり, 古くから「お薬師さん」と呼ばれ親しまれてきました。
また,山を一周するように四国遍路にあわせて88体 のお地蔵様がまつられた,ミニ四国八十八カ所巡り があります。人がよく訪れています。
立江地蔵(たちえじぞう)
ミニ四国八十八カ所巡りの途中,十九番札所立江寺のお地蔵様は,目をはじめさまざ まな病気を治してくれることで周辺にも有名でした。
昔は,地蔵祭りや花火大会も行なわれ,多くの人々 でにぎわったそうです。

辻ガタオ地蔵
菅沢町と東植田町の町境にあり,今から約150年 以上も前に建てられました。馬頭観音(ばとうかんのん)や 知覚童子(ちかくどうじ)など4体あり,村を守る仏様として, 信仰されてきました。
ヤカラ地蔵
菅沢町と三木町小蓑の境にあります。今から 約150年前に建てられました。 以前は,現在の場所から200m登った旧道沿いにあり,お盆には 踊りなどが盛んだったそうです。
孝女(こうじょ)ハツの墓
江戸時代に,ハツという親孝行な女性がいましたが, 不運が続き,自らの命を絶ったそうです。後に人々が「孝女」(親孝行な女性) としてたたえ,ハツのために立派なお墓を建てました。


伝説
お薬師さんの伝説

・・・・菅沢の薬師堂は,今から約400年前,戦火に巻き込まれ焼けてしまいました。 焼け跡の残る黒く焦げた土地にようやく緑が戻り始めた頃,一人の女の人に出会ったというわさが流れ 出しました。その女の人は,村では見たことのない女性で大変美しい人でした。しかし,人が通りかかると 何か言いたそうにするのですが,道行く人が何度声をかけても何も言わず黙ったままです。そして, 何も言わずに後をついてくるだけなので,人々はとても気味悪がりました。
ある夜のこと,男の人が田んぼの様子を見に来ると,あぜ道にその女の人が立っていました。「こんな 夜おそくに女が一人でいるわけはない。これはきっとタヌキのしわざにちがいない。こらしめてやる」と 思い,持っていたクワを振りおろしました。そのとたん,「カーン」という思いもかけない音がひびき, 女の人は消えてしまいました。あまりの出来事に男は腰を抜かしてしまいました。 しばらくして,男があぜ道に何か不思議なものを見つけました。見ると薬師如来の像ではありませんか。 男はわけがわからず,そばの桜の木に像をたてかけていちもくさんに逃げ帰りました。
その後,女の人を見たといううわさは聞かなくなりましたが,今度は桜の木が毎晩光るようになりました。 「きっとあの女の人は薬師さまだったに違いない。お堂もなく土に埋もれていた薬師さまが我々をお呼びに なったのじゃ」と思い,人々は力を合わせて,焼けたお堂を建て直し,薬師如来の像を大切にまつったと いうことです。

耳塚伝説

・・・・熊野神社の境内のはずれに,「耳塚」と呼ばれる塚があります。この塚には,とても 悲しい伝説が伝えられています。
約400年前に,菅沢義景,義長の親子が菅沢をまとめていました。そのころ豊臣秀吉が全国統一を行なうため ,九州に攻めることになり,菅沢親子も命令に従って戦いに出かけることになりました。同じ秀吉軍の四国 からの仲間には,かつて菅沢を攻め,敵であった土佐の長曽我部元親もいました。
戦いは,死者が次々と出るほど大変激しいものでした。その戦いの中で父・義景はとうとう力尽きてしまい ました。息子・義長は父の両耳を切り取り,菅沢に持ち帰りました。そして,熊野神社に埋めたそうです。 この戦いでかつての敵であった長曽我部元親の息子も討ち死にしたのは,偶然とはいえ皮肉な運命です。


屋号
菅沢では家の名字とは別に,その家を表す「屋号」がついています。 その中からいくつかを紹介します。
なお,これは昭和61年度に当時の分校児童が調べて『わたしたちの高松(第二集 地域の歴史)』に掲載したものを 参考にしました。
「はら」,「おじり」 昔,大蛇が神様に刀で切られてこの菅沢に飛んできたそうです。その大蛇のおなかが 落ちたところを「はら」,しっぽが落ちたところを「おじり」と言います。地名がそのまま屋号になりました。
「なわしろ谷」 日照りのため,菅沢中で苗が育たなかったときでも,ここだけは苗がたくさん育って いました。そのためこういう地名がつき,それが屋号となりました。
「宝田」 昔,お殿様にあげる大切なお米を作っていた場所です。
「ほりきり」 かつては上の方に家がありましたが,後に土を掘って下の方に家を建てました。
「半ぎょうじ」 昔,その家の近くに半ぎょう寺というお寺があったので,それを屋号にしました。
「かどや」 家が道の角に立っています。
「日うら」 山のかげになり,日が当たりにくかったのでこのように呼ばれました。
「八丁」 この家の近くに菅沢で一番大きい白峰山(八丁山?)があって,頂上まで八丁あるので こういう屋号がつきました。この家が白峰山への登り口です。
「そら」 他の家より高い場所にあって,眺めがいいのでこう呼ばれます。
「まつばえ」 松の木を切り倒して建てた家だからです。
「おちくぼ」 周りより低くくぼんだ土地に家が建っているので,こう呼ばれるようになりました。
「古政」 昔から村長の仕事をするなど,菅沢の政治の中心になって働いてきました。

屋号ではありませんが,菅沢で最も寒い場所で,「おおしも(大霜?)」と呼ばれています。 写真は,降ってから1週間経ってもまだとけずに残っている雪です。

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