栗林の古いもの調べに行こう 

 
ねらい  
 栗林地域の特徴の1つは,栗林公園をはじめとする文化性の高さではないだろうか。子どもたちは地域の文化性の高さをおぼろげながらは感じているだろう。歴史学習が始まるこの時期に,自分の足で地域の古いもの調べをしたり,紫雲山・峰山で古墳オリエンテーリングをすることが栗林の文化のよさとの出会いの1つとなる。  
@ 史跡・神社・仏閣







藤塚神社(藤塚町一丁目23)
もともとは農産の神であったが,農耕時代から家内工時代に, そして商業時代に変わるに従って,工業生産の神,商売繁盛の神として
崇められるようになったそうだ。 藤塚商店街のビルの谷間にあり,見過ごしてしまいがちだが, ていねいに見ていくと子どもたちも見つけることができる。
また,この藤塚神社のお祭りには,地域の子どもも参加しており教材性がある。












藤塚商店街から見た藤塚神社〉
栗林公園(栗林町一丁目20−16)
 栗林公園は,約400年前に,屋島の合戦で義経の忠臣であった佐藤次信の後裔, 志摩介道益が観興寺の下に屋敷を構えて移住し,本園を増築したとものといわれている。
この園庭を生駒家,松平家と引き継いで,およそ300年に渡って築園に力を注ぎ, 下屋敷として使ってきたのである。 この栗林公園を教材として見た場合3つのよさが考えられる。
1つは,文化財としてのすばらしさに触れることができるいうことだ。
2つ目は,大勢の観光客が訪れる公園なので,様々な人との出会いが ある場ということである。
3つ目は,全国的にもネームバリューがある公園が校区内で学校から 十数分で歩いていける距離にあるということである。 また,管理が行き届いた公園なので子どもが直接関わること (例えばそうじをするなど)は難しいが,公園側も入場料等で協力していただいている。












案内ボランティアをする子ども〉
諏訪神社(栗林町一丁目8−1)
享保14年,信濃の諏訪大明神の分霊を勧請して,香東郡上ノ村に創祀,その後,今の社殿の南方約50mのところに移した。 ところが,太平洋戦争後に社殿が道路にかかることになったため,現在の場所に移動した。
この神社は,江戸時代高松城南の守護神(北向きの社)として知られていた。 栗林公園正門のちょうど向かいに位置し,学校から栗林公園に行くときは,前を通ることが多い。
しかし,そう目に付く建物ではないので,古いもの調べに子どもが行くときも知っているようで よくは知らないといった感じである。
また,栗林公園の近くということもあって比較的行きやすい場所ではないかと思う。
観興寺(室町1963−1) 
栗林公園南端の交差点を西に入っていったつきあたりが観興寺である。 紫雲山のすそ野にあり,すぐ近くの中央通りを多くの車が通っているにも かかわらず落ち着いた雰囲気の場所である。 室町には今も宝殿という地名が残っているそうである。
この地方の伝説によると,昔,伊予の国の河野という人が仏像を背負ってこの辺りまで来て余りの重さにここに捨てようとしたところ,背中の仏像さまが「ホウデン,ホウデン」と いわれたので,この地におまつりしたという。この仏像を本尊に迎えたのが観興寺である。
 子どもたちにとって身近な場所のよう(特に室町,室新町の子ども)で,
時々遊んでいるようだ。また,ここから紫雲山へ上がる道を知っている子どももいる。












観興寺の正門〉
室町のししまい
(室町周辺)本校校区ではそう多くない,ししまいを毎年行っている。
室町を中心に子どもたちもかかわってきている。5,6年生の音楽で日本の伝統的なリズムや節を学ぶときには, 情報源として活用できる。また,栗っ子学習でも興味を持ち,ししまいについて調べたり,実際に演奏してみたりした子どももいる
金山神社(栗林町二丁目7−6)
祭神の金山彦命(かなやまびこのかみ)は,一般には鉱山の神格化と見られている。
鏡造命(かがみつくりのみこと)は,天照大神を招き出すための鏡を制作する石凝姥(いしこりどめのみこと)のことであると想定されている。学校から最も近い神社の1つで,北門を出てすぐの場所である。地域の一斉清掃の際にも集合場所となっている。
学校から近いという立地を生かして,調べに行くだけでなく,清掃ボランティアなど子どもが地域に関わりやすい場所でもある。
また,北校舎から金山神社を見ていると,そうじをしている近所の人の姿も見ることができ,子どもたちの地域へのかかわりのきっかけになりやすい場所でもある。

〈金山神社の全景〉












〈境内で清掃ボランティアをする子ども〉
西向き地蔵・南向地蔵(桜町二丁目17)
戦前,西向き地蔵の地蔵祭には,玄人はだしの素人芝居で露店がならび賑わったそうである。 今も,諸願成就の地蔵尊として知られている。
南向地蔵の創建ははっきりしないが,庵に附属西向き地蔵した伏石街道の安全,さらには衆庶の人生行路の平安を祈り,農家の人々が中心にお祭りしたものであると考えられている。
子どもにとって身近な御坊川の岸にあり,室町ー新田線の道路に面しているので比較的見つけやすいようだ。 また,近くには子供会のいも畑もある。
大楠荒神(花ノ宮町一丁目4−1)
戦国時代からここに楠の大木があり,言い伝えによると,戦国時代からこの地で戦って戦死した武将を朴むった墓所であるといわれている。 その武将の鎧の裏に花宮という名字が書いてあったところからこの辺りを花の宮と呼ぶようになったという。
ここに,荒神を祭り大楠荒神と名付けられた。この,大楠は樹齢数百年といわれ周囲約6m45cm,高さは約20mある。 そして,この大楠は昭和52年9月1日 高松市の銘木の第1号として指定を受けた。
また,この場所は旧香東川の堤で,近くに出水があり,この辺り一帯が淵となり,この水が流れて楠川となったといわれている。 子どもにとってもこの大楠の大きさは感動でき,見上げたり,幹の周りを回ったり,木に抱きついてみたりといったかかわりが持てる。 また,先にも述べたように水に関する言い伝えもあり教材性がある。
道しるべ(花ノ宮町一丁目4−1)
高松南警察署の南に道しるべがある。「左を指す指絵 やくり道,右を指す指絵 こんぴら道」とあり,この辺りを通って一宮寺から屋島寺,八栗寺へ向かう遍路道があったと思われる。
      

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