| ねらい | |
| 栗林の町に古くからずっと伝えられてきていて今でも残っている物にはどんなものがあるのかを調べるとともに,どのような願いをもっているのかを知ることで,ふるさと“栗林”に住む人々の心や思いに触れていく。 | |
ア 提灯について 昔は,夜道の明かりとりとして作られ利用されてきたが,近年になっては神社の御神燈提灯や藤塚町の三好提灯店は,江戸初期,生駒高松藩御用達として提灯作りを続け,現在に至る。
夏祭りの装飾提灯として利用されている。
近くには提灯の文字を書く人もいる。三好正信さんは,11代店主。 「讃岐一本がけ」の技法を持つ提灯作りの第一人者。
提灯の製図や原型となる木型から作ることのできる店は,
今では全国に3軒とない。しかも,「讃岐提灯」は「一本がけ」という手法が
製作の最も大事な技術で竹ひごを変幻自在につなげるのが特徴である。 三好さんは,全国でただ一人,1本の竹ひごを自在に操って人形や魚,花などの
形を生み出す。そして,今までにない新しい形の提灯を次々に生み出す努力家の人である。
また,ハワイ大学の教授でもある。
イ 漆器について 日常生活用品に,椀,盆,座卓,整理箱等の製品がある。漆器は中国で古くに作られた工芸美術品で,昔,日本に伝えられたものである。
これらの品物には,用途により木製の素肌のものから塗料塗りの,漆塗りと様々である。
これらの品物は,昭和の初期まで中野町や藤塚町で木型作りや彫刻職人,漆塗り職人がいて分業で作られていた。
香川の五大漆器としてきんま,存清,象谷塗,後藤塗,彫漆がある。
ウ 日本酒(楽心)について池田酒造は古い酒商の時代があり当時の「板看板」(現在の卸および小売り)と通称され
香川県だけでなく他県にも有名な存在であった。 栗林町は昔から非常に良い水が出るところであり,栗林町に流れていた香東川の伏流水が流れており
池田酒造は昔の川の真ん中に建っており地下水(井戸水)は良質で豊富な水が今も酒造に役立っている。
エ うどんについて
うどんはその昔,弘法大師が唐に渡ったとき,その作り方を習得し日本に帰って伝えたものと言われている。
様々な食べ方で全国に存在している。
香川県では,地名をとった“讃岐饂飩”が有名である。この讃岐饂飩は「土三寒六」という伝統的な作り方がある。
この技法は,夏は塩水一に対して水三,冬は塩水一に対して水六という割合で
うどんを作る秘法として知られている。
うどんの祖型は,小麦粉で作った飴入りの団子状のものだとも言われている。
某うどん店では栗林公園からでるわき水でおいしいうどんが作られている。
オ 奉公さんについて奉公さんというのは紙を材料として,高松人形が宮内フサさんの努力によって
栗林の人形として伝えられているものである。 高松張子の技術は寛永19年(1642年)茨城の下館から高松に移封されてきた
松平頼重が,下館からつれてきた家臣のなかに人形を作るものがおり,
それが伝えられて下級武士の手内職として作られてきたという。 フサさんは,奉公さんだけでなく,鯛やもちえびす,すわり犬などの数々の作品を
広め伝えた人である。
高松大空襲で木の型をなくしたが記憶をたよりに田んぼの良質の粘土で張り子造りを再開した。
マサエさんはその姿を幼い頃から見て技能を身につけていった。 奉公さんは,すべて手作業で作るため1体完成させるのには約1週間かかるそうである。
それでも奉公さんの表情は,50体に1体ぐらいしか自分の満足できる顔がえがけないという。 *宮内フサさんは平成7年11月23日に死去。
現在は宮内フサさんの子どもであるマサエさんの姪ごさんである
太田ミキ子さんが神戸で奉公さんを作っている。
カ 理平焼について高松藩主松平頼重が京都から呼び寄せて作らせたものが理平焼である。理平焼の先祖は,滋賀県信楽の森島半弥重芳を初代としている。
りへいやき 理平(兵衛)焼 別名御林焼,高松焼。
讃岐国(香川県)高松藩の御用窯として,慶安2年(1649),京都粟田口の陶工森島作兵衛重利が
高松藩別邸栗林荘の北に窯を築き,名を紀太理兵衛と改めて製陶に当たったのが始まりと伝えられる。
代々襲名し,明治維新で理平と改めた。上質の色絵磁器を焼いているが,
伝世品が少なく茶碗,水指,花入のほか日用雑器が見られる。