○歴史コース
 
日本3大水城「高松城」
 
1 はじめに 
 4年生の頃から,歴史やお城に興味がありました。家族で旅行に行った先では,父に連れられて必ずお城を訪ねていました。6年生になり,校区の歴史や文化を調べるようになり,校区にある日本3大水城といわれる高松城をさらに詳しく調べて,これまで調べてきたことと合わせてまとめてみたいと思いました。
 
2 調べる内容
(1) 高松城の歴史と特徴
 
3 調べ方
(1) 見学に行く。(史跡高松城趾「玉藻公園」,高松市歴史資料館)
(2) 本やパンフレットで調べる。 
 
4 分かったこと
(1)高松城とは
 この高松城は,1588年,生駒親正が築城した水城です。生駒氏は,1640年,生駒騒動により移封され,1642年に徳川家康の孫でもある松平ョ重が移ってきます。その後228年間松平氏が続きました。幕末には,松平家は徳川幕府側として敵と見なされ,土佐軍にこの城は一時占領されます。外堀を北側,西側の順に埋め立てられ,取り壊されました。1884年には天守も取り壊されました。現在,復元運動が始まっています。10年後には天守が本丸にそびえているかもしれません。

(2)城のつくり
 @ お城の地図
 A 本丸・天守台
 本丸は全体が櫓(やぐら)等の建物に囲まれていて,天守台には四国最大級の大きさの天守が建っていました。この天守は南蛮造り(唐造り)という,高層ほど大きな形をした不自然な建物でした。この珍しい天守の復興工事が2010年に始まるそうです。楽しみです。
 B 二の丸
 二の丸は敵に落とされると本丸が孤立して,戦いに敗北してしまうことから,一番重要な場所でした。櫓(やぐら)が集中していて守りを固めています。現在は全く建物がないので,敵の侵入から本丸を守る二の丸の姿も復元してほしいと思いました。
 C 三の丸
 三の丸には藩主の住居である御殿(披雲閣)が建っていました。この御殿は現在当時の2分の1ほどが残っており,昭和天皇も宿泊されました。この御殿は,行事などに有料で貸し出されています。機会があれば中に入ってみたいです。
 D その他
 この城は,全体的に城の北側(海側)に櫓(やぐら)が集まって,海からの敵の侵入を防いでいました。また,海から見た時に城が水に浮いているように見えるように,デザイン面からも海側に櫓(やぐら)を配置したそうです。
 海から見た高松城の復元イラストを見ると,当時の人が水に浮かんでいるお城の景色を誇りに思っていたことが想像できます。
 
5 調べを終えて
 高松城は,当時の大きさの10分の1しか残っていませんが,戦いへの備えや海から見た美しいデザインなどたくさんの工夫がされている素晴らしいお城だということが,改めてよく分かりました。また,歴代の城主が塩田づくりや上水道づくりなどに取り組み,城下のくらしを豊かにする努力を一生懸命にしたこともよく分かりました。
 この高松城にほど近い,二番丁校区にはお城にゆかりの史跡や伝統文化が残っています。例えば,水任流は校内に発祥の地の石碑が建ち,300年ほど前の泳ぎ方が受け継がれています。二番丁小学校では水任流講習会を通して,小学生が伝統を受け継いでいます。
 この高松で生まれ育ったことを誇りに思うとともに,これからも貴重な文化遺産のことを詳しく知って,大切に守り続けたいと思います。
 

取り壊される前の高松城(明治時代)

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平成18年度 6年夢・未来学習
平成18年度の「6年夢・未来学習」の歴史コース(一部)について紹介します。