高松城の門や堀の造り
6−3 吉田 6−3 清水
1 調べようと思ったわけ
僕たちが高松城の造りについて調べようとしたわけは,高松城は,高松の象徴のようなものだから調べようと思いました。特に城の造りには興味があったからです。
2 調べて分かったこと
(1)本丸について
高松城は,生駒親正が,1588年から3年かけて造った水城です。はじめは3重4層だったけど,松平頼重が3重5層に造り替えたました。でも,今はその本丸はありません。わけは,城の遺跡は普通,設計図を残すけど,高松城はその設計図がなかったからです。
(2)門について
これは,高松城の門です。普通の門と同じで,城の出入り口です。敵から城を守る役目も果たしています。 |
(3)櫓(やぐら)について
寛永19年(1642年)生駒親正公が東讃岐12万石の領主に命ぜられた後,明治2年(1869年)まで,11代続いた松平氏居城であり,日本三大水城の1つに数えられています。月見櫓(つきみやぐら)は,松平氏入封以後新たに海面を埋め立てて造られた郭(かく ※城の外まわりという意味)の隅櫓(すみやぐら)として,延宝4年(1676年)2代頼常公の時代に完成されたものです。月見櫓の特徴は,内部に初層から3層屋根裏まで通じる4主柱が中央に通っていて,それに梁(はり)をかけて組み立てていることです。
(4)堀について
これは高松城の堀の写真です。この堀は,敵から攻められにくくするために造られました。 |
(5)良櫓を登った感想
僕たちは,アンケートと取材をした帰りに事務所にいた人が「良櫓に行って見ない?」と言ってくれたので,遠慮なしに登らせてもらいました。櫓の階段は急で70度ぐらいでした。聞いた話では良櫓は,十二支の中の一番悪い場所の牛と虎の間に魔除け(まよけ)のため造られたが壊れそうだったので立て替えたそうです。良櫓とは関係ないけど,月見櫓の本当の名前は,月見じゃなく着見(ちゃくみ)だったそうです。こんなことも教えてもらってうれしかっです。
3 調べや取材を通じて学んだ文化財に対する思いや願い
(1)玉藻公園の受付の方に聞きました
「玉藻公園は落ち着く所で仕事に来ている気持ちがほとんどありません。」と,言っていました。
(2)玉藻公園に来てくれた人に聞きました。
玉藻公園に来てくれた人に5回インタビューして,その人たちは「ここには散歩にきました。」と言う意見や,「盆栽(ぼんさい)を見にきた。」と言う意見もありました。
(3)弾正原さん
弾正原さんは,「この文化財を残してほしい。」と言ってていました。あと,弾正原さんは僕たちの学校に来てくれて,城の歴史や造りやお寺のことをたくさん教えてくれました。
(3)アンケート結果
〈問1〉日本のお城の中でもこの城の大きな特徴は何だと思いますか。 ・海水を使っている(4人) (感想) 〈問2〉門,櫓,堀のそれぞれの役目は何だと思いますか。 ・敵から身を守るため(8人) (感想) 〈問3〉ここの様々な文化財についてどのような思いを持っていますか。 ・玉藻公園(高松城跡)は,昭和30年には遺跡全体が史跡指定を受けており,市民にとって貴重な財産であるので,保存,整備,をしていかなければならない。(3人) (感想) 〈問4〉僕たち子どもたちは,文化財にどのように関わればいいですか。 ・実際に見ればいいと思います。(6人) (感想) |
4 調べた感想
僕たちは,総合の勉強で何回か玉藻公園に行きました。そして,インタビューをしたり櫓のスケッチをしたりしました。自分の力で調べることができて,勉強になりました。