玉藻城の造リグループ
6-1森本 6-2 渡辺 6-2大広 6-2 薮地
1 調べようと思ったわけ
・外堀,中堀,内堀にどうやって水を入れるのかを調べてみたかったから
・玉藻城はあまりくわしく見たことがなかったのでよく調べてみたかったから
2 調べてわかったこと
玉藻城縄張図
1 天守 2 地久櫓 3 矩櫓(かねやぐら) 4 中櫓 5 文櫓 6 ゆみだめ櫓
7 廉櫓(かどやぐら) 8 武櫓 9 黒櫓 10 月見櫓 11鹿櫓 12 多聞櫓 13 龍櫓
14 民櫓 15 巽櫓(そんやぐら) 16 太鼓櫓 17 鳥櫓 18 虎櫓
天守閣の説明
寛永19年,あの水戸黄門の兄に当たる松平頼重が高松藩主となりました。頼重は,城を広げる工事を行うとともにさらに天守閣をはじめ,10余りの櫓を建て直しました。また,寛文7年から寛文10年にかけて奉行の朝比奈五兵衛に命じ,天守閣を三層五階の五階部分の張り出した南ばん造りの構造に改造しました。しかし,明治17年には老朽化(ろうきゅうか)のため天守閣が取りこわされてしまいました。
玉藻城には堀が三重もある。内堀中堀外堀に分かれている。その堀の水は海水から引いている。堀の水を海水から引いているのはすごく珍しい。玉藻城が海の近くに建てられたわけは,生駒氏がもう,戦(いくさ)は起きないだろう思い,せめられにくい山には建てず平地に建てた。今は内堀と中堀の一部が残っている。
【思ったこと】
昔は堀を三重にもして,すごく敵に攻(せ)められにくい造りをしているので生駒氏はすごいと思う。3つの堀の中に天守閣がある。昔は天守閣を取られると落城になった。玉藻城の天守閣は,見た目は三階建てに見えるが本当は石垣にある地下室も合わせて五階ある。これを三重五層(四層)という。
攻められないように見た目を三重にしていた生駒氏の用心深さは,とてもすごいと思う。その用心深さが今のりっぱな玉藻城につながっているんだと思う。
3 調べや取材を通して学んだ文化財に対する思いや願い
なぜ,玉藻城は三重堀したのか。玉藻城はなぜ海の近くに建てたのか。
なぜ,山に玉藻城を建てなかったのか。
【分かったこと】
海の近くに建てたわけは天下統一をした,豊臣秀吉がいくさは少なくなっていると聞いた生駒氏は玉藻城を築いた。だから,山には建てなっかた。三重堀にしたわけは,もしいくさが起こってしまって攻められると,城をつぶされてしまうので内堀と中堀と外堀で囲んでいる。
昭和のはじめごろ,海上から高松城をながめると,「讃州讃岐は高松様の城が見えます波の上」という歌にふさわしい光景だった。
高松城は,豊臣秀吉に仕えた生駒親正という大名によって,天正16年(1588年)に着工し,同18年(1590年)完成されました。城の周囲には外堀,中堀,内堀と,全長2.2qもある堀を築き,そこに海水を引きました。そして,西には,堀川港,東には東浜港と2つの港がつくられました。
【思ったこと】
ぼくが,豊臣秀吉だったら,玉藻城は山の上に建てていると思います。なぜかと言うと海の近くに建てるといくさがあれば,城がこわされたり簡単に攻められたりしたりするから,ぼくは,山の上に建てたと思います。でも,豊臣秀吉はいくさがないといって海の近くに建てました。もしかしたら戦があったらいけないので,内堀,中堀,外堀を堀りました。その堀の中に海水をひきました。海に建てたのは眺め(ながめ)もいいし攻められにくく,三重堀りにしていてよく工夫していると思いました。
【アンケートから】
(問2)玉藻城の歴史についてどう思いますか。知っていることがあれば教えて下さい。 玉藻城の前が高松城と言っていた。(1人) 【感想】 これからは文化財などをもっといろいろな人に伝えていきたい。 【考察】 アンケートを見ると,玉藻城のことを知っている人が1人しかいなかった。ぼくたちがもっと分かりやすいアンケートを書けばよかった。もっといっぱいの人にアンケートを渡していきたいです。たぶん知らなかったわけは,文化財などを大切に残していこうとする人が少なかったです。 (問3)これから文化財について今の子供にどう伝えていきたいですか。 歴史資料館というりっぱな施設ができているので,何度も行って調べてほしい。(1人) 【感想】 文化財はこれからも受け継いでいかなければいけないけれど,そう思う人は少なかったです。でも,少しいたのでよかったなあと思います。でも,これからは歴史資料館などを利用していきたい。でも,もっと答えてほしかった。 【考察】 あまり文化財を受け継いでと思う人は少なかった。でも,少しいてすごく詳しく書いてれていてさすがだと思う。答えてくれる人が少なかったのは,大人はあまりそういうことをふだん考えていないからだと思う。 |
4 これからの僕たちの生き方は
6−1 森本
今,総合をやっています。アンケートを配ってみると文化財を大切にしていない人が,とても多かったので,ぼくが,文化財を守っていきたいです。
6−2 大広
これからも,いま残っている文化財を大切にしていき未来へ伝えていきたいです。
6−2 渡辺
僕は,この総合学習をやっています。アンケートをしてあまり堀を知っている人は少なかったです。もっと伝えていきたいです。
6−2 薮地
総合学習をやって文化財の大切さが分かった。これからも文化財を大切にしてこれからも残していきたいと思う。