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壺井栄といえば,「二十四の瞳」だよね!

そんな程度じゃ,『壺井栄物知り博士』への道のりはまだまだね!
他にも,「桃栗三年柿八年柚の大馬鹿十八年」とかあるでしょ〜?!

えっ!?なっ,何それ〜!!!

この言葉は,壺井栄の好きな言葉だったのよ!
わたしも,この言葉,リズム感があって大好き!!!

あなたのことはいいから・・・・・・。
壺井栄のことをもーっと教えてよ!!!

何それ,最悪〜!!!
まぁ,いいわ!教えてあげる!まずは,生い立ちね!!!

 1899年(明治32年)、8月5日に、小豆島の坂手村(現在の内海町坂手)で、岩井藤吉・妻・アサの子、5女として生まれました。
 栄の兄姉に、弥三朗・千代・コタカ・ヨリ・ミツコ、弟妹にスエ・藤太郎・シン・貞枝と栄の10人でした。
 生家は、たる作りの職人の家で、上にあるように10人兄姉、弟妹と祖母、住みこみ職人など、 20人近い大世帯の中で育ったのです。
 栄は、おそ生まれで、ひ弱な子でした。しかし、頭のひらめきはよく、規則より1年早く、(6才で)坂手尋常小学校へ入学しました。

7歳・・・正規学業でないので3月の学年末には1年生の修業証書はもらえませんでした。翌2年生の終わりには、学力優等・操行喜良の賞状を授与され、以後毎年の例となりました。

9歳・・・岩井一家の生計は苦しく、栄は、人の家の子守をしながら、小学校に通ったのです。

12歳・・坂手尋常小学校卒業、1等賞(賞状)を受けました。

14歳・・3月、内海高等学校を卒業しました。海そう業を船にのって手伝いました。

19歳・・郵便局であらゆる業務を切り回し、その過労から病気にかかり、医院で排膿を続けながら勤務しました。

23歳・・本を読むのにはまっていて、菊池寛の書いた、「父帰る」などを夢中で読んでいました。

25歳・・12月に、母・アサが亡くなりました。そして、生後7日目に母に死なれた、めいをひきとり、育てました。

27歳・・事故で、左手を骨折しました。

33歳・・三月に父・藤吉が亡くなりました。
34歳・・・3月14日に父、藤吉が亡くなったと言う知らせを聞き、急きょ実家に帰りました。
35歳・・・5月夫の繁治が出獄しました。
37歳・・・友達の窪川稲子からなんと、「あなたの話は面白くてそのまま書けばいいのよ!」と言われました。そして8枚書いては2人で読むまた15枚書きたしては2人で読んでいました。
38歳・・・12月29日繁治の母トワがなくなりました。栄はとても悲しみました。しくしく!!
39歳・・・本格的な作家活動に入りました。                       
40歳・・・5月に、「桃栗三年」を、発表しました。内容は、「桃栗三年柿八年柚の大馬鹿十八年」意味は、桃と栗は、三年で実が付くけど、柿は八年かけて実を付けます。ですが、柚の大馬鹿は、十八年もかけて実を付けるという意味の栄の好きなことわざです。
41歳・・・「暦」の印税の一部で、亡き祖母(イソ)の長年の念願を果たすために、伊勢の的矢に、祖父の、勝三の墓探しに出かけたのですが、見つからなかったのです!しくしく!!
42歳・・・「暦」で、第4回新潮文芸賞を受けました。最初の随筆集「私の雑記帳」を刊行しました。
49歳・・・「浜辺の四季」、「妻の座」を発表しました。
51歳・・・仲良くしていた宮本百合子が亡くなりました。
53歳・・・「二十四の瞳」を雑誌「ニューエイジー」に発表しました。「坂道」、「母のない子と子のない母」で芸術選奨文部大臣賞を受けました。 
56歳・・・「雑居家族」を発表しました。「風」で、第7回女流文学賞を受けました。
62歳・・・NHK芸術劇場(ラジオ)の「高窓のある部屋」が好評しました。アンコール放送されました。
67歳・・・病床の栄に内海町名誉町民の称号があたえられました。6月23日死去。「みんな、仲良く」が最後の言葉でした。栄は、300にものぼる、作品を発表し、新潮文芸賞、児童文学賞、芸術文学賞、女流文学賞などたくさんの、賞を受けました。



「二十四の瞳」を紹介します。
 壺井栄といえば,「二十四の瞳」というぐらい有名な作品の説明を簡単に発表します。
この本は,壺井栄が55歳(昭和29年)(1954年)に作られました。
内容は大石先生という先生が分教場の先生になり,1年生を担当することになりました。この1年生12人とはすぐにうち解けました。しかし,子供たちがしかあけてあった落とし穴に落ち,足の骨をおってしまいました。それがきっかけで分教場をやめ,13年ぶりにまたもっどてきたある日,子供たちの母親になった(13年前は1年生だった)子たちに会い,感動の再会をしたという本当に本当に感動するお話です。

「花はだれのために」を紹介します。
 このお話の内容は,おじいさんとおばあさんがいてその2人には子供ができませんでした。そのかわりに畑や花などを大切に思い,毎日毎日手入れをしていました。そんなある日,男の子のミギちゃんというこがきておじいさんとおばあさんは自分たちの畑よりも大切に大切に育てました。それからミギちゃんが4さいになり男の子ですからいたずらをしたりしました。ミギちゃんが4,5さいになってから,あるとんでもないことをしたのです。そして最後には,おじいさんとおばあさんは,ある感動しちゃう決断をだします。このあときになるラストシーンは読んでからのお楽しみです。  


「母のない子と子ない母と」を紹介します!
「母のない子と子のない母と」は、戦時中の人々のお話です。最初に出てくるおとらおばさんは、子どもが 戦時中に死にました。おばさんはその悲しさをまぎらわそうとしているせいか、近所の子どもたちには、はがきで作った風車を一人一人にあげます。子どもたちの中にも、母や家族がいない子もいます。そんな子どもたちをおとらおばさんは、とてもかわいがります。とても、愛情と悲しみが混じったすばらしい名作です。壺井 栄は、この話を書いたときにこう思いながら書いたと書いています。どうしても、涙がとまらなかった・・・・。私は、この本を読んで人間はどんなに辛いことも悲しいことものりこえなければ、いけないんだと初めて思いました。


「リンゴのふくろ」を紹介します!
「リンゴのふくろ」も、戦時中の家族のお話です。兄の純が本屋に行くと言い,妹のシズも行きたいと言い出しました。ですが,純はいや!と言って連れていきません。お母さんが「茶話会」を開くといったので,純も行かずに参加しました。この家族はとても生活が苦しく、お正月に、おもちを食べたい?と聞く方でした。ですがお母さんは、お嫁に来たときの形見を売ってまで、おもちを子供達のために買いました。そしておもちをつく日がやってきました。純は後悔していました。そして,ある日,田舎のおばあさんがぜひそちらに行きます。という手紙を送ってきました。しかし,そんなよゆうはありません。この後どうなるのかは、この本を読んでみてからのお楽しみです。ぜひ読んでみてください。
私の感想は,昔はお金も食べ物もなくてとても不自由な暮らしをしていたことが分かりました。今はとても平和なので全然考えられません。私達も,もっと水や電気,生き物などたくさんの物を大切にしていきたいと思いました。
 


・ Q1 栄って名前は、誰が付けたの?
  A 長男の弥三郎が付けた。
 Q2 栄の兄弟は何人?
  A ・兄姉は5人!
     それは・・・千代(1891〜1961年)
           弥三朗(1888〜1919年)
           コタカ(1893〜1910年)
           ヨリ(1895〜1985年)
           ミツコ(1897〜1919年)
    ・弟妹は4人!
     それは・・・スエ(1901〜1922年)
           藤太郎(1903〜1961年)
           シン(1906〜1990年)
           貞枝(1913年〜  )
    合計・・・栄を入れて、10人
      けど、弥三郎は次男で、長男が別にいた!?と言う話もあります。
      どの本にも載ってませんが。


目・・・涙を流す事は、ほとんど無い!
    目が悪いので、眼鏡をかけている!
    何でも見逃さないッ!
耳・・・大切な情報源
心・・・我慢強いハート
      乙女心!  どっきん ドッキン!
手・・・ペンを持つ大切な右手!

  栄はたいして身長は高くないが、体格はかなりいい!

 栄の本性!?
 年がたつとともに数々の小説を『読みあさった』そうです・・・。
 小説家としての血が騒いだのでしょうか・・?

イセのマトヤのヒヨリヤマ
 祖母(イソ)は、↑を、一人息子と、孫たちに、語って聞かせたそーです。
 イセのマトヤのヒヨリヤマとは、今は亡き(祖母の)夫の墓の場所だったそうです。
 ちなみに栄は、おばあちゃんっ子。
 小さい頃ばあちゃんから学んだことが、
 栄の小説に大きく影響しているのではないでしょうか?
 (地方色の強いところ)

「桃栗三年 柿八年 柚の大馬鹿十八年」
これは、栄が生前好んで書いたことわざ。
お手伝いさんから聞いたとのことです。
碑文の字は、栄の色紙の筆跡を、碑に移したもの。


 壺井栄さん,あなたは,あのすばらしい数々の作品を創り上げるにあたって,ふつうは2,3回しか書き直さないものを,長編小説であろうとなんであろうと,10回近く書き直したそうですね。私たちは,その一つのものにかける情熱に驚き,感心しました。
 「子供の頃,家が貧しかったので,自分も働いて家族のくらしを支えていて修学旅行にも参加できなくて,くやしかった。」そんな話を聞いて,私たちは,自分と比べてどうか,自分はこうしてだらだらくらしていていいのだろうかなど,いろいろと考えました。そして,つらいことがあっても数えるほどしか涙を流さなかったということ,家族のために働き続けたということ,そのがまん強さはとても立派だなあと思いました。
 また,あなたの作品の中には,戦争に反対する気持ちがあふれていました。その代表的なものは『二十四の瞳』だと思います。戦争による死の悲しさ,むなしさが,しみじみと伝わってきて,戦争は絶対にしてはいけないということが,身にしみるほど分かりました。
 自分の故郷,小豆島を愛し,おばあちゃんから教えてもらったことなどを作品に取り入れ,地方の女流作家としており続けた,そのがんこなまでの故郷を愛する心。私たちも,これだけはゆずれない!というものをこれから見つけたいと思います。

平成14年3月1日
                                                       瞳,菜奈子,彩子,友紀,加奈,育未,愛より