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宮武外骨ってどんな人?
・宮武外骨は、1867年に生まれたジャ−ナリストです
・入獄したのに新聞を出すなどとてつもないほど新聞、雑誌にかけた情熱はすさまじいものでありました
・1955年八十八歳でなくなりました。(ぐすっ)



詳しく聞かせて!!
(?)わはははは!!わたしが詳しく教えよう!
ああっ、あなたは!!もしかして外骨マン?
そのとおり。それでは話を始めよう。
   外骨は1867年今の綾歌郡綾南町に生まれたのじゃ。
   幼名亀四郎といってな後外骨と改名、全国に名をとどろかせるジャ−ナリストじゃ。
うんうん、それで、それで
1886年に当時の新聞をパロディ−にした「屁茶無苦新聞」を発行したのをきっかけにジャ−ナリストの道を歩み始めたのじゃ!!1886年の2月には「頓知協会雑誌」と言う雑誌に発布されたばかりの帝国憲法の条文と、天皇をかいた錦絵のパロデイ−を掲載し不敬罪として処罰され、3年8ヶ月の獄中生活をしたのじゃ。

ええっ、そうなのっ!!
だが、外骨はそんななかでも新聞を出そうと考えたんじゃ。
   その名も「鉄窓調林」じゃ!!
   しかしこの計画は失敗に終わったのだ。
そうなんだ。
外骨が出獄したのは明治二十五年(1892年)11月12日のことじゃ。翌年の3月にいろいろな知識を生かして「文明雑誌」を創刊したのじゃ。
ひえ−すごすぎ
これは「心理雑誌」「頓知雑誌」「美妙雑誌」「道徳雑誌」の四つをひとまとめしたものだっのじゃが・・・
じゃが?
この雑誌はあまりにも奇妙すぎて創刊即廃刊になってしまったのじゃこのように創刊即廃刊は全部で17点もあるのじゃ。
創刊即廃刊かあ。
じゃが廃刊後の8月から翌年の1月にかけて外骨は三種類の書物を出しておるのじゃ。
   1つ目は日本古来の英雄・豪傑・奇人・烈士などの伝記をまとめた「古今名誉実録」
   2つ目は「舶来知恵袋」西洋のきたんを集めた物じゃ
   3つ目は舶来知恵袋の続編の「本朝知恵袋朝」を作ったのじゃ。これらは大好評だったのじゃ
これで一気に有名人だね。
この後ぞくぞくと雑誌などを出していったのじゃ。
へえ、すごいなあ。
じゃが外骨は広告料と印刷料の支払いができなかったため、台湾に逃亡してしまったのじゃ
はあ、がくっ(ひざをつく)
外骨は明治34年(1901年)一月「滑稽新聞」を大阪で発行するのじゃ。この新聞を発行するまでは石版絵を背負って生活していたのじゃ。
へえ、台湾に逃亡したのに帰ってくることができたんだね
  ピコ−ンピコ−ンピコ−ン
      は!!万年筆タイマ−が!!
   それよりあとのことは自分で調べるのじゃぞ。
ありがとう外骨マン。
わ−はっはっはっは。


宮武外骨それは・・・・
反権力者なのです。危険なことを書いているのはそのためです。
宮武外骨は入獄したことがあります。
宮武外骨は、なんと罰金15回入獄4回というように何回も悪いことしているのだった。
                             (注 危険人物ではありません)
しかしこんなすごい業績もあるのです!!

東京大学に明治新聞雑誌文庫をつくったのです
そこには全国の明治の新聞,雑誌があります。新聞1902種で7000冊,雑誌6139種で4500冊などがあるのだ!!
とにかく
    すごい人なのだ−
時にはこんな愉快なことも考えているのです。
<おもしろたしざんひきざん>
きつね+飯=油揚げ
医者−手=死
さいころ×ぜに=逮捕
もも÷ほうちょう=桃太郎
このようにおもしろいことをいろいろ考えています。




明治19年(1886)「屁茶無苦新聞」を発行 やばい内容を書いたので即発売禁止!!

明治20年(1887)「頓知協会雑誌」を発行 2年後28号が治安妨害に問われ発売禁止!!

明治34年(1901)「滑稽新聞」を発行 パロディ趣味・考証癖などおもしろい要素が取り込まれたおもしろい雑誌 最高8万部発行

明治40年(1907)「教育画報ハ−ト」を発行 オ−ルカラ−で大人から子供まで楽しめた雑誌

明治41年(1908)「大阪滑稽新聞」を発行 滑稽新聞の後続誌

大正 2年(1913)「月刊雑誌不二」を発行 大阪滑稽新聞を改題発行したものです

大正 5年(1916)「スコブル」を発行 外骨初の本格的な雑誌で頓知に関する論説・パロディ文などを掲載

大正 8年(1919)「赤」を発行 第1号は7万部の高売り上げでしたが2号からは人気ががたおちしました。

昭和 4年(1929)「面白半分」を発行 スコブル以来の本格的な雑誌

昭和12年(1937)「ふたな」を発行 あまり人気がなく創刊即終刊

こうして宮武外骨は、大人向け、子供向け、大人も子供も楽しめる本を書きました。



外骨さん,ぼくたちは,小川先生からあなたのことをいろいろと教えていただきました。
 その時,「名前がかっこいい」と思いました。そして,あなたのことを調べていくうちに,あなた自身のことをとてもかっこよく思うようになりました。なぜなら,外骨さん,あなたは,警察につかまったり,発行禁止命令を何回も出されても,自分のしたいことをあきらめず,新聞・雑誌作りに命をかけたように思えるからです。
 刑務所に4回も入り,入っているときも文章を書いて,「お前の大学はかんごくだ」と言われるくらいだったそうですね。そんなに警察につかまっても,新聞や雑誌などをたくさん書き続けているのは,本当にすごいことだと思います。また,政府がしていることを国民に知らせようといろいろな新聞を出しましたね。ぼくは,人のために何かをするということを外骨さんから学びました。特に「滑稽新聞」はたくさんの人々に読まれていたのですね。そんな外骨さんのことを,香川の人々に聞いても,あまり知らないのです。でも,ぼくたちがこのホームページを作ったから,外骨さんも世界中の人々に知れわたるでしょうね。
 ぼくたちがこの手紙を書いている間にも,外骨さんは,天国でも,新聞・雑誌を発行していることでしょう。いつでも,どこでも,自分の夢を忘れずに,思いついたことを実行に移せる外骨さんを,ぼくたちも見習っていきたいです。これからも,書き続けて,天国の読者を喜ばせてください。さようなら

平成14年3月1日 


                     健太郎,宏太,敦,幸平,翔平,康平より