なんかいどう
南海道
 
       こだいさぬき         こうつうろ
1 古代讃岐の交通路
 
 奈良時代(ならじだい)(今から約(やく)1700年ほど前),都(みやこ)のある中央と地方を結ぶために道がつくられた。奈良(なら)の都から紀伊(きい)(和歌山県),淡路(あわじ)(兵庫県),阿波(あわ)(徳島県),讃岐(さぬき),(香川),伊予(いよ)(愛媛県),土佐(とさ)(高知県)の国府(こくふ)を結ぶ道が南海道
と言われている。その南海道が川島
の町を横切っていたらしいのである。
 

古代讃岐の交通路

 
 
2 川島の町を横切る南海道
 
徳島を経(へ)て讃岐に入ってきた道は下図のように通っていたようである。この道上にあるそれぞれの駅を現在の場所にあてはめていくと,南海道は松本駅から三木町白山の南麓をとおり,旧道の吉田橋をわたって川島を西に直進し,川島橋を通ってさらに西へ進み,三谷町にある駅につながっている。
 旧吉田橋から春日川にかかる川島橋に向かう直線の旧県道は,まぎれもなく昔讃岐を通る唯一(ゆいいつ)の官道(かんどう)としての南海道だったと思われる。
 

推定南海道

 
3 南海道の役割
   
 ・ 国司(こくし)(国の役人)が都から赴任(ふにん)したり任期(にんき)を終えて都に帰ったりする道。
 ・ 都との連絡(れんらく)に使われる道。
 ・ (ぜい)を都に納(おさ)める人々が往来(おうらい)する道。
 
  このように大切な役割があった南海道の周囲はきっと栄えていたことだろう。
 
 
 条里制と南海道
           
 奈良時代につくられた法律(ほうりつ)により,政府(せいふ)は全国の人民を戸籍(こせき)に登録(とうろく)させ,それに基(もと)づいて土地(口分田(くぶんでん))を分け与えた。土地を分け与えやすいように土地は碁盤(ごばん)の目状に区分けされた。これが条里制である。現在の川島の町を上空から見ると,一部にほぼ規則正しく区分けされた面積の田を見ることができるのだが,これは条里制の名残(なごり)と考えられる。
 そして,南海道を基準にして条里制が計画されたものと思われるが,それを復元(ふくげん)してみると次の図のようになるのではないか。