校区の概要





 本校区の高松町は、名勝屋島の南側に位置し、古くから開けた地域であり、近辺には古墳などの歴

史的遺跡が数多く残され、地名「高松」の発祥の地である。

 かつては、田園に白壁の農家が散在している実り豊かな農村として栄えていた。

 昭和15年、高松市に合併し、交通の便利さにより、地区内各所に住宅地が造成され、様相は一変し

て高松市東部のベッドタウンとして人口の急増をみるに至った。

 昭和55年4月、新田・春日の全町と高松町の一部を校区とした古高松南小学校が新設され、児童数

は減少したが、依然として大規模校であり転出入児童の数も多く、常に生気に満ちている。

 地域の教育に対する関心は高く、学校教育にも極めて協力的であり、PTA活動も活発である。

 

屋島
源平合戦の舞台として有名な歴祖ロマンあふれる景勝地。付近には合戦ゆかりの史跡をはじめ、四国霊場第84番札所、屋島寺、屋島山上水族館、などがあり、いつも多くの人でにぎわっている。特に山上からの眺めは素晴らしく絶対に見逃せない。
つねに本校の窓から見える山でもあり、校歌にも歌われている身近な存在である。

四国民家博物館
四国村の愛称で親しまれる。
ふるさとの香りゆたかな文化ゾーン。
敷地内には、農村歌舞伎舞台、砂糖しめ小屋、こうぞ蒸し小屋等。
四国各地から移転復元した古い民家や建造物が大集合。

 「古高松地区ふれあいウォークルートマップ」

古高松地区における9つの歴史的な地点が,古高松校区ウォークルートの9つのポイントの1つに取り上げられました。
ポイントが一目で分かる 「古高松地区ふれあいウォークルートマップ」も設置され、気軽に古高松地区の歴史を訪ねることができるようになりました。
 
「鞍掛けの松」
(2008.4.14)

源平合戦の折り、源義経がこの松に鞍を掛けて、兵や馬を休養させたと伝えられている伝説の松。(二代目になります。)
とても狭い場所です。訪ねるときは、騒がしくしないよう気をつけましょう。説明の石碑もあり、青々とした緑の待つのかたわらには桜の木があります。春には満開の桜も見られます。

 
「高松城(喜岡城)跡」(2008.4.14)

讃岐の守護、舟木頼重(後の高松頼重)が築城した平城です。
戦国時代、高松氏が豊臣秀吉に敗れて後、廃墟となっていたけれど、今は喜岡寺となっています。