フォーラム
                                                  よしのり

 ぼくは、練習するときは声の大きさが小さくて言い方が早かったです。でも本番になると、うまくいえました。それと最後に名刺をくばるとき「うまかったよ」「じょうずだったよ」などと言ってくれました。ぼくは、自分の言うところをまちがえたけど、「うまかったよ」と言ってくれました。うれしかったです。
 しつもんコーナーで昔売店の店長だった人も来ていました。その人はさっちゃんにしつもんをしていました。さいしょはとまどったけど、あとからなれてきました。


親切にしたよ


 「小さな親切」といっても、ぼくはいつも親切にしようと思っているけれど、なかなかかんたんにはできません。はずかしかったり、こんなことをしたらめいわくかなぁと思ったり、いろいろ考えている間に、チャンスがなくなってしまうのです。
 ぼくが二年生のとき、友達と遊んでいると、足の不自由なおじいさんが、車いすに乗って坂道をのぼって来ました。ぼくのすぐ前を通りました。はじめは、声をかけるのがはずかしいし、がんばってのぼっているので、めいわくかなぁと思って、なかなか言えなかったけれど勇気を出して声をかけてみました。
「おしましょうか。」
すると、おじいさんがニッコリ笑って、
「おねがいします。」
と、言ってくれたので、車いすを坂の上までおしてあげました。おじいさんは、
「ありがとう。おかげで助かったよ。」
と、言ってくれました。ぼくは、声をかけてよかったと思いました。
 また、ぼくには、目の不自由な親せきのおじさんがいます。そのおじさんは、自分の家にいるときには、場所がわかっているので、何でも自分でしていますが、よその家では場所とかがわからないので、トイレに行ったりする時にはいつもこまっています。ぼくは、おじさんがトイレに行くと言うと、ぼくのかたにおじさんの手をのせてつれて行ってあげたり、階だんがあると教えてあげます。それは、ぼくが小さい時からずっとしていたのであまり気にせずに自然にできます。おじさんは、いつもすごく喜んでくれます。お父さんやお母さんが、
「それが親切だよ。やさしさだよ。」
と、言ってくれます。おじさんも、
「嘉規はいつもすぐに気がついてさっと教えてくれたり手をかしてくれたりする。」
と、喜んでくれています。
 ぼくが、反対に、足が不自由だったり目が見えなかったりしたら、きっといろいろたいへんだと思います。その時に、ほかのだれかが同じようなことをしてくれたら、やっぱりうれしいし、ありがとうって思うと思います。
 ぼくが住んでいる大島には、ハンセン病の後いしょうで、手足が不自由だったり目が見えにくかったりする人たちが生活しています。ぼくは、三年生になって大島青松園の病とうでかんご体けんをしました。
「その人の気持ちになって介ごするんよ。」
と、言いながら、かんご師さんは、車いすのおし方や目の見えない人の付きそいや食事の介ごを教えてくれました。
 ぼくは、これからも、に物を持ってたいへんそうな人やこまっている人がいたら、はずかしがらずに声をかけて車いすをおしたり助けてあげられるようにしようと思います。

「ふれあい運動会」

さいしょはきんちょうしていたけれどあとからなれてきてししやたまいれやすずわりは二番でした。一輪車のこ人えんぎではバックをしました。ぼくは、さいしょ一輪車でバックができませんでした。だけどれんしゅうすているときにおねえちゃんがフラフープをもってきてくれました。ほんばんではうまくせいこうしたのでうれしかったです。らいねんはかた足アイドリングをしたいです。
 ししまいでは、はじめは、ひなみちゃんとれんしゅうをしていました。ぼくがたいこひなみちゃんがかねです。ぼくがつまっていてあまりできませんでした。つぎはこうせいくんがかねをすることになりました。れんしゅうをしているとじょうずになっていきました。ほんばんではひなみちゃんとやりました。それでちょっとうまくいったのでよかったです。親子きょうそうでMさんにふうせんをわってもらうときにふうせんがふくらみませんでした。だからお母さんにたのんだらお母さんもふくらませなかったのでこまりました。でもMさんは、うまくわってくれたので安心しました。パンくいではメロンパンをとりました。うんどうかいのさいごにわしがおりてきたのがびっくりしました。

えいが                  

 ぼくは、くまざさのゆいごんを見ました。らくせんえんにはにゅうしょしゃの人が二00人ほどでした。ぼくは、くまがさのゆいごんを見て、あいさんは目が見えないのにしんぶんくばりをしていて、手や目が不自由なのにえらいな、と思いました。すずきさんは手が不自由なのにいもうとの絵を書いたと、言っていました。こだまさんは、らいよぼうほうをなくせと、言った人です。吉田くんは、目がみえないのに子であいさんとなかよくなれました。くまがさのゆいごん見てあんないにいかしていこうとおもいます。

じんけんフェスタ 

 ぼくは、きょうじんけんフェスタではっぴょうしました。ぼくたちの、まえに上西小と牟礼北小のつぎに、ぼくたちで、みんなは、ゆっくりうまくできてたけれどぼくは、早くなってしまいました。でもおきゃくさんは、はくしゅをしてくれました。そのあとに高松高の詩がありました。ぼくは、自分のはっぴょうがすんだら、カンバッチを作りました。そのあとに多肥小がとうかず子さんのことをいっていました。ぼくたちいがいにも入所者のことをいっている人がいるとわかりました。

海上保安庁

ぼくは、今日、海上保安庁の人にお話を聞きました。その人は石がき島に、2年いたと言っていました。その人はぼくたちに、海がめの足がつり糸で足の半分が切られていたとこの写真を見せてくれて、ビデオも見せてくれました。ペットボトルについているバーコードを見るとどこで作られたかがわかりました。

おちゃかい   

 ぼくは、今日、お茶会で学習発表で昂生君と二人でクイズのおもしろみをいれたのを発表しました。その前の前にわたる君が星の発表をしました。みんなの発表がおわってお茶をたてました。そのお茶は、Sさんのところにもって行きました。ぼくは、Sさんがのんでくれてうれしかったです。みんながお茶をたててすんだあとにMさんやみなさんとお話していました。