看護体験でわかったこと!

 5月11日、水曜日、病とうで「看護体験」をしました。このとき看護師のお母さんもいました。千馬先生と野崎先生もいっしょに参加しました。
 ぼくは,「看護士さんは、仕事をするときになにかほしいものがあるのかな。」と考えていたので、質問の時間にしようと思いました。
 ぼくたちは、病とうへ行って入所者の人のお世話をしました。ぼくはこれが2回目です。
 はじめは、手をタオルでふきました。足やこしもふきました。ぼくは「こうみえてもむずかしいんだな」と思いました。
 それからお昼は昼ご飯を食べて本館の入り口に集合しました。
 最後に治りょうとうで反省会をしました。ぼくは看護士さんに、
「なにかほしいものはありますか。」
というと
「入所者の方を持ち上げるロボットがほしいです。」
と言いました。「ロボットがあると便利なんだな。」と思いました。
 今日看護体験をして、看護士さんは入所者の人を車いすやベットに乗せたりご飯のお手伝いをしたり大変そうだなと思いました。 
大人になっても忘れない

 10月24日,除幕式がありました。石碑を見て,上手にできているなと思いました。
 10月の始めに,ぼくたちとお父さんとお母さんと先生とで石碑に色をぬりました。
ぼくは,最初ははみだしたらどうしようと思ったけど,上にゴムのシートがはってあるのを見て安心しました。
 石碑は,庵治町の役場の前のふれあいの道に置かれました。
 除幕式では,全員がお礼の言葉を言いました。ぼくは,
「この石碑を見れば,ずっと大人になっても入所者の方や大島のことを忘れないと 思います。」
と発表しました。その後みんなでひもを引っぱると,ぱっと石碑の絵が出できました。
 庵治町は高松市になるけど,この風景は変わらないのでだいじょうぶです。
 お父さんや三木町のおじいちゃんやおばあちゃんにも見せたいです。
 ホームページにものせて,たくさんの人に見てもらいたいです。 

いもほり11/7

庵治中学校に行って来ました。11/9

校長先生のお話

授業見学

授業見学
授業見学

クラブ見学

柔道部の先生と…

「待ってるからね。」と言われてうれしかったです。

ハンセン病フォーラム

  6月23日,ぼくたちは高知に行って「ハンセン病フォーラム」の発表をしました。

  ハンセン病とは,今では「プロミン」という薬ですぐに治る病気だけど,昔は,うつる,こわい病気だと思われていました。全国に15カ所あるハンセン病療養所に住んでいる人たちをぼくたちは「入所者」と呼んでいます。入所者の方たちはハンセン病という病気にかかっていて,親や他の人たちからうつるのは「いやだ」と思われていて,無理やり大島という島に連れてこられました。ぼくは,入所者の方たちの気持ちを考えると,辛くて泣いてしましました。 

 そこで,ハンセン病を正しく理解してほしいということで「ハンセン病フォーラム」というのができました。ここでは大島で仕事をしている職員や入所者の方が参加して大島のことを発表します。だからぼくたちも治第二小学校の「大島案内ひきうけ会社の社員」として発表します。  

   またぼくたちは入所者の方の孫でもあります。入所者の方は赤ちゃんを産むとその赤ちゃんに病気が遺伝していると思われて,赤ちゃんが産めなかったのです。それで息子や孫がいません。 だからぼくたちは入所者の方にとって孫のようなのです。 

 ぼくたちの発表の内容は,看護師さんが願っていた「入所者の方を持ち上げるロボットや痛みが測定できる機会があればいいな」ということについてと,調理師さんが話していた「入所者の方の食事を工夫して『おいしい』といわれるようにがんばっている」ということについてです。

 会場つくと,ぼくたちは受付の場所に行って名刺を渡しました。「こんないたくさんの人が来てくれるということは,たくさんの人が見てくれるんだな」とワクワクしました。ぼくの母と姉とおじいちゃんとおばあちゃんも来てくれていました。 

 そろそろハンセン病フォーラムが始まります。恭太郎君と陽七海ちゃんは緊張していましたが,ぼくはわくわくしていました。それは,来てくれた人に大島のことを知ってもらえるからです。

 いよいよ出番です。「発信,ふるさと大島からパートU」 

 昂生君は「飲み込むことができない入所者の方には,どろどろとした食べ物をチューブで胃に送る」ということや介護員さんから聞いたお話を発表しました。すらすらと言っていたのでよかったなと思いました。 

  陽七海ちゃんは医療ソーシャルワーカーの方から聞いたことを発表しました。このとき,発表が止まったのでどきどきしましたがだいじょうぶでした。  

  恭太郎君は,大島青松園でした「看護体験」のことを発表しました。元気よく言っていっしょうけんめいに発表しました。「きょうたろうくんは高知の人たちにわかりやすく発表している。ぼくも負けてはいられないぞ」と思いました。 

  ぼくにとってこのハンセン病フォーラムは最後なのでちゃんと思い出を残したいという気持ちで発表しました。  ハンセン病フォーラムが終わって「来てくれた人たちは,大島のことを分かってくれたかな。もし分かってくれたなら,大島にも来てくれるかも。よし,これからも大島のことをいろんな人たちに広めよう。」と思いました。

  これからも,大島のことをしらせること,大島案内ひきうけ会社のこと,そして入所者の方たちとの交流をずっと続けていきたいです。そして,ぼくはこの3月に卒業するので,楽しい思いでもたくさん作っていきたいです。