昂生のページ


案内で気付いたこと    7月1日
 
 今日は,庵治小学校の6年生を案内しました。ぼくたちは,2組に分かれて,ぼくは30人を案内しました。
 案内が始まりました。説明しているときは真剣に聞いてくれました。でも移動しているときには,あまり真剣ではありませんでした。案内しているときにも入所者の方は歩いています。その方たちの通行のめいわくになってはいけないので,右側通行をお願いしました。でもしばらくするとばらばらに歩くようになってしまいます。どんなふうに話せば,みんなに聞いてもらえるかなと思いました。
 説明しているときは,真剣に聞いてメモしてくれていました。ぼくもうれしかったです。このようにいっしょうけんめいに聞いてくれる人はもっといっぱいいたらいいです。ぼくも他のところで説明を聞くことがあったらいっしょうけんめいに聞きたいと思いました。聞いてもらうのはむずかしいです。
 その後,入所者の坂崎さんにお話を聞きました。今までに聞いたことがない話や楽しい話を聞きました。その中でも心に残ったのは
「兄が銭湯に行けないからと言ってドラム缶でふろを作ってくれた。」
という言葉です。とてもやさしいお兄さんだったんだと思いました。
 今日聞いた坂崎さんの話を庵治小学校の6年生の人も他の人に広めて,大島をもっと知ってもらいたいです。
友達ができた案内      7月10日

 7月8日は高松市の多肥小学校の6年生と交流学習をしました。
 始めに案内をしました。はじめはほとんど会話がありませんでした。しかし,納骨堂に行く道でいろいろな会話をしました。やっと話ができてよかったと思いました。
 学校についてごはんを食べた後,校内の案内をしました。それからぼくが学校の桜の木で見つけたクワガタのことを思い出して
「クワガタいる人」
と言うと
「はーい」
「おれいるー」
とほしい人がさっとうしました。またなかよくなれた気がしました。
 その後入所者の本田さんの話を聞きました。ぼくが心に残ったのは
「ハンセン病になったから名ぼに『死亡』と書かれた」
と言う言葉です。

 今日の案内で川田君と友達になりました。久しぶりに友達ができたのでうれしかったです。これからもどんどん作りたいです。


ぼくたちの石碑。過去・未来・今       10月24日

 「石碑を作ります」
 先生から聞きました。
 それは庵治の「ふれあいの道」にある石碑のことでした。それを作るのは6年に1回なのを知り,とても名誉なことと思いました。
 下書きをするとき,掘るのは簡単だと思って複雑な絵を描きました。しかしぬるときになってむずかしいことを知りました。
 「さあぬるぞ。」
細筆,ふと筆,極細の3種類の筆がありました。ぼくの目は極細でもぬれないくらいでした。
 「ぬれない。」
と大きな声で言っていると渡君のお父さんがそこらにあった細い枝を持ってきてつまようじのようにして使っていました。
 塗り終わると陽七海ちゃんがペンキだらけになっていました。
 今日は除幕式です。式でぼくはお礼の言葉を言いました。
 「大人になっても,大島のこと,庵治のことを石碑を見ていつでも思い出したいです。」
これを見てもらえたら,大島のこと,そして来年なくなるかもしれないけど庵治第二小学校のことを,ずっと伝えることができます。
 百才になっても見に来たいです。


いもほり11/7


じんけんフェスタ       11/20

     ぼくたちが住んでいる大島には,国立りょうよう所大島青松園があります。そこにはハンセン病の元かんじゃさんが入所していて,ぼくたちはその人たちのことを「入所者」とよんでいます。そして入所者の人の差別をなくすため,総合学習の時間に「大島案内ひきうけ会社」をやっています。大島を案内して,入所者の人のつらさを分かってもらうのです。学校が休みの時は,ボランティアとしてやっています。  

 今は11月20日,20日後にはじんけんフェスタがあります。人権フェスタでは,多くの人に呼びかけられます。けど覚えるのはとても練習しなければなりません。まずは原こう作りです。ぼくがたんとうしたのは西庄小学校とのつなぎの部分です。むずかしいところですが作りました。その他に看護師さんと介護師さんのしごとを話すのです。                                                        

次は考えた原こうを覚えなければなりません。発表の時間をとても気にしていたので,原こうが多いと思っていたけど,少なかったです。みんなにアドバイスを聞きに行きました。

 すると 「もっと具体的に。」 とか,「客観的に。」 と言われました。また,書き直して,覚えました。

 20分間も発表するので,みんなの分たんもたいへんでした。        

 友達のわたる君は調理師と作ぎょうかんり,ひなみちゃんは医りょうソーシャルワーカー,きょうちゃんは船ぱくの仕事を言います。それぞれの分たんしたことがらの順番を決めるのに,最期まで困りました。その結果,ひなみちゃん,わたる君,きょうちゃん,ぼく,という順です。この中には,一つ一つの仕事のつながりがあります。                   

 12月10日です。

 「やっと今日かーあんまり練習してないけどだいじょうぶかな。」と会場へ行く車の中で思いました。人権フェスタへの参加は今年で3回目になりますが,こんな気持ちは毎年のことです。来年は3人になります。そして「庵治第二小学校」最後のサンメッセでの発表になるかもしれないのです。                                             

「わたる君がぬけてもこんなかんじにできるかなー。」と思いながら行きました。行ってすぐにパネルを見に行きました。ぼくたちのほかにも,パネルにハンセン病のことを取り入れている人も多かったです。ぼくたちのことも入れてくれていました。少しうれしいです。                                    

 その後みんなで集まってリハーサルをしました。

 リハーサルでは,西庄小学校の人と合わせて通しました。西庄小学校の人は,うわさ通り歌がうまかったです。初めて合わせましたが,タイミングなどがよく分かってきました。マイクの高さ調節や,打ち合わせ,立ち位置を確認しました。   

 発表までに時間があったのでげんかんであいさつをしました。 

 「おはようございます。」 

 知らない人にも名刺を渡したので,最初は56枚あったのに,15分ほどで少なくなってしまいました。              

 そしていよいよ発表です。ぼくたちの前の上西小の人にあっとうされながらも,ぼくたちの出番です。

 第一声の「ハンセン病について知りたい?」は,あまりいきおいがつきませんでした。その時はうまくいったと思っていた所も家に帰ってビデオを見てみると,とんでもないまちがいをしていました。                                                          

 発表が終わると「自分の出番はぶ事に終わった。」と思って,あとはゆうゆうとしていました。

 一階にいくと,おかしを売っていたり,いろんなものがありました。その中のむしパンを食べたり,プラバンをしたりしていました。                                                                      

  さてさっきのとんでもないまちがいとは,「ようこそ西庄小学校の…」というセリフのところのふりを忘れていたのです。ぼくはあの時まったく気がつきませんでした。しかしなにもおこらずにさらっとながせたのでよかったです。            

  また来年も楽しみです。