算数の発表会。自分の計算方法をみんなに発表。
「いーーーーーーっ!」まだまだ磨き残しが・・・。
国語で作った新聞の発表会。写真入りで、とっても上手にできたね。
先生と大爆笑!これ、○○○○みたい!!

513日病とうで看護体験をすることになって1ヶ月くらい前からどんなことをしたいか計画をたてて総看護師長さんにお願いの手紙を持っていきました。はじめ白いを着ることになりました。前から動きやすいのかなぁと思っていたけれど当日に着てみると動きやすかったです。当日にたんとうした人はOさんでした。Oさんがごはんを食べにいってかいじょしようとしたけれど食べ方がうまかったのであまりかいじょしなかったです。けれども、のどにつまりやすいのでせなかをさすってあげるためにスタンバイしていました。そのあとインスタントシニア体験をしました。はんせい会でしっかりはんせいしました。

いろいろな人の心のこもったコンサート

529日にぼくはすごくきんちょうしていました。527日の123人より多い170人い上の人を案内するからです。むかえにさんばしへいくと、すごい数の人がせいしょうからおりてきました。でも、そんなに27日ときぶんはかわらないのでほっとしました。大島会館での説明が終わるといよいよ案内です。さいしょにメインの所にいきました。そして風の舞の説明が終わりました。次の所にいこうとするとはくしゅをしてくれました。ちりょうとうの所もはくしゅをしてくれました。そこは入所者の人たちの気持ちが一番つたわる所だと思っています。きっと入所者の人の気持ちをわかってくれたんだと思います。これからもこんな人たちがきて、入所者の人の気持ちを伝えていきたいと思います。コンサートの前に卒業生のさちさんの手紙を読んでくれました。そこには「入所者の人たちのつらい思いをつたえていき、いやせるのはあなたたちしかいません。」のようなことがかかれていました。ぼくたちはもっと案内して、もっと多くの人たちに知ってもらわなければならないのだと思いました。コンサートがはじまりました。沢さんの歌声でつかれはふきとんでしまいました。このコンサートは毎年つづいて入所者の人の心をいやして、案内でさべつをなくしていきたいです。

おーい、いきてますかぁーーー。
フォーラムでの質問会には児童代表として壇上に。きちんと回答できていましたね。
上西小との交流。ついに、登ったぞ、竜王山!!
男木島で。食べても食べても無くならない。幸せなスイカちゃん。
大島キャンプではファイアーボーイズ(火の係り)だったから、あつかった!!みんなで作った焼きそばはもりもりおかわりをしたよ。
4度目の運動会

9月28日,ぼくたちは小学校4度目の運動会の本番を前にとてもきんちょうしていました。
「失敗したらどうしよう。」
「うまくできるだろうか。」
そんな気持ちでした。みんなも同じような気持ちだったと思います。1年,2年の時は,ぼくたちより上の人たちがいっぱいいて,助けてくれました。だけど3年生からはみんながいなくなって,5人で練習してうまくなりました。4年目の今年は,とてもがんばりました。「4人の力を合わせれば,できないと思うようなことでもできる」ことを知り自分に自信がつきました。
 本番が始まりました。心配だった『庵治ミニ列車』(左の写真のです。)も上手にできました。だれも失敗せずにできました。これこそ心が一つになった演技だと思います。
 そして玉入れでは,ぼくたち赤チームは2回とも負けてしまいました。来年は勝ちたいです。次のゲートボールも負けそうになりましたが,ビリにはなりませんでした。
 ぼくの得意なパン食いきょう争では,
「ケンケンで行って。」
と言われたので,ケンケンで行きました。でも2番でした。
 最後は待ちに待った人間ルーレットです。母と二人で出たので,景品がいっぱいもらえました。
 雨が強くなって,閉会式をテントの中でしました。雨が降って残念だったけれど,自分の力を発揮できた運動会でした。
多磨全生園,平沢保治さんのビデオを見ての感想文
いのちの森を作った人々そのことば     吉田昂生

「いのちの森で」を見て,平沢さんが考えていた,子どもたちがここでいっしょに遊ぶということをかなえようとする多磨全生園の人々の行動に力づけられました。山下さんと平沢さんは,
「かぎられた土地でいるのなら,この土地を自然でいっぱいにしよう」
という気持ちでやっています。この心に残ったことばが,いのちの森を生んだんだと思います。山下さんのことばとねがいがつまった全生園の森だということがわかりました。その森は二百五十種類の木々でなりたっていて,二百五十種類の願いでできているということがわかりました。その森を作るためにきずをしても
「このきずはくんしょうだ。」
と山下さんは言っていました。ふつうはいやがられるけど山下さんはそれをくんしょうというのはそのきずが自分のほこりとなっているのだと思います。子どもたちがここで遊ぶのが実現していっているのがわかりました。
平沢さんは高いひいらぎごしにそとが見えるぼうちょうのおかで面会しました。友人との縁をを切ってでも面会に来てくれたのはお母さんでした。平沢さんの
「母の子どもでよかった。」
というのが第三の心に残ったことばです。
第四の心に残ったことばは
「ハンセン病がうつるのだったら『来てください』と言われても『ぜったいに行きません』といいます。」
ということばです。それはなぜかというと
「この思いはわたしだけであなたたちにはこんな苦しい思いはさせたくない」
という平沢さんのやさしさがわかることばだからです。
そして最後の心に残ったことばは山下さんのことばで
「みんな木を植えてくれてありがとう。なみだが止まりません。」
です。一人で木を植えていた山下さんにとっては,とてもうれしい宝物だと思います。ぼくの住んでいる大島の青松園と全生園は同じような苦しみと同じような思いをしていたことがわかりました。
元気がでた

 11月17日ぼくたちはやきいもを通して入所者の人たちに元気を付けてほしいと願って,ふれあい収穫祭を進行しました。開会式の司会役ではちょっとわすれたけど,進められてよかったと思いました。
 4年生のごんぎつねの発表では,ぼくが打つ空気でっぽうが「ポン」となったので,会場は大笑いしていました。これで少しは元気が出たと思いました。
 音楽発表では,「ザ・ロンゲストマーチ」をリコーダーで吹きました。その発表は自分では100点だったと思います。「風の丘」の合奏ではドとソなのにシとシをまちがえて木琴をたたいてしまいました。
 この収穫祭では,ぼくが低学年の時とちがうことがあります。それは学校のみんなの人数が少なかったということです。そしてもう一つちがうことは,病棟の職員の方々が元気を出してくれる手伝いをしてくれたことです。それは病棟の入所者の人を連れてきてくれて,ぼくたちも元気が出ました。とう和子さんも来ておいもを2つも食べました。100才の中沢さんも来て元気を出してくれました。もっともっと長生きしてほしいです。
 みんなががんばって,元気が出た収穫祭でした。
親子書き初め大会での作品

ぼくが松竹梅を書いて良くなったことが5つあります。
1つは松のムのうったてです。
2つ目は竹のはねです。
3つめは梅の毎の間がです。
4つめは全体的にバランスが良くなったことです。
そして5つめは,なまえの漢字がうまくなりました。