◎ 青松園入所者自治会機関誌「青松」編集長Nさんとの1回目の学習会
 〜Nさんは,自分自身の辛かった過去の話や差別のこと,青松園での生活の様子,差別に対する自分の思いを熱く語ってくれた。〜

 小学校の6年生の時に発病し,病院に行った。診察を受けてハンセン病とわかると自分の歩いてきたところを聞かれ,そこを消毒された。自分が毒のような存在になったと思い,子どもごころにつらかったことを今でも鮮明に覚えている。病院で学校へ行ってはいけないと言われ,それもつらかった。しばらくは親の手伝いをしながら家で過ごしていたが,外に出ることもできず,そんな生活が嫌になり,青松園に入ることにした。その時は,「自分の人生も終わったな。」と思い,死んだつもりだった。人目をさけるように,まだ暗いうちに家を出て,高松に行き,桟橋で船に乗った。「もう二度と帰れないんだな。」というとても寂しい思いがした。青松園では患者作業や患者介護など療養とは名ばかりの仕事がまっていた。亡くなった入所者の火葬の仕事もあり,「自分の番が来るのではないか。」と思い嫌な気持ちになる人もいた。
 ここにいる入所者は,偽名を名乗って家族に迷惑をかけないようにしたり,家族と完全に断絶してしまったりしている人もいる。時代が移り,少しずつ島外へ出られるようになってきたが,タクシーでの乗車拒否や店での入店拒否など差別を受けたときには,とてもつらかったし,腹がたった。
 大島に来てもう50年になるが,大島のことは,好きでも嫌いでもない。大島に来た人が「大島はきれいな所ですね。」というが,それは帰って行くところがある人のいう言葉。ここは50年も住むところでない。最近は青松園も施設が良くなり,自分たちの住む環境もよくなったが,昔は,職員地区と患者地区が完全に分けられていて,職員地区に入ると罰を受けることもあった。50年大島で暮らしていて学校の方へ来たのは,はじめてで,職員地区がこんなにきれいになっているのに驚いた。
入所者の長年の願いであった「らい予防法」の廃止が2年前に行われ,法律上では差別がなくなった。でも,平均年齢が70歳を越してからの廃止では遅すぎたと思う。今でも悔いに残っていることは,自分の子をもつことができなかったこと。今でも子があれば孫があればと思うことがある。自分の人生を自分で決められなかったことが無念だと感じる。
 「らい予防法」が廃止され,目に見えない縄がほどかれたような爽快感があったが,法律が廃止された今こそ,社会への啓発が進まなければならないと思う。学校の中でハンセン病の正しい知識を学び,若い人に正しく理解してもらえたら,自分たちハンセン病で苦しんだ者が,隠れたり,恐れたり,おじけづいたりしなくてよくなる。この学習で学んだり感じたりしたことをこれからも大切にしてほしい。入所者の平均年齢は72歳,20年すれば私たちハンセン病で苦しんだなかまは少なくなってしまう。この問題を闇に葬ってしまわれないように,エイズや他の難病で再び同じような過ちを繰り返さないように,自分たちの歴史を若い人たちに伝え,残していかなければならないと考えている。

◎ 感想(思ったことや考えたこと)

  ぼくは,Nさんのお話を聞いて一番印象に残ったのは,「ハンセン病とわかった時,自分の通ってきた道を消毒され,自分が毒のような存在になったと思い,つらかった。」という話や,「学校へ行ってはいけないと言われた。」という話です。その話を聞いてハンセン病になった人に対する差別が厳しかったことがわかりました。子どものころから差別され,みんなと同じことができなくなってしまうと,ぼくも生きるのが嫌だと感じると思います。「らい予防法」の話を聞いていて,隔離して自由に生活できなくしたり,子どもを産めなくしたりしたことに疑問を感じました。ぼくは,そのことは絶対に間違っていると思うし,完全に治る病気になったのだから,早く法律をなくしていたらよかったと思います。Nさんは,「らい予防法」が廃止になって法律の上では差別はなくなったけど,まだ社会の中にはハンセン病に対する偏見や差別は根強く残っていると言っていました。Nさんは,ハンセン病のことを正しく知ってもらうために「青松」という雑誌を作っています。ぼくは,ハンセン病問題学習を通して,ハンセン病について知ることができたし,入所者のみなさんの苦しみや悲しみについても知りました。ぼくは,もっとたくさんの入所者から話を聞いて学びたいと思うし,学んだことをNさんのように知らせていきたいと思います。(6年男子児童の感想)

◎ Nさんとの2回目の学習会
 〜2回目の学習会では,Nさんの「青松」の編集の目的を聞き,啓発活動の在り方について考えようとした。〜

 私は,入所してすぐから,「青松」の編集にかかわり続けてきた。「青松」を作りはじてから55年,はじめは入所者のための文芸誌ということで,入所者の文芸活動を奨励する目的で作ってきた。入所者はこの「青松」を道場としてよい作品を作ろうとみんな競い合ってきた。それが入所者の生きがいとなってきたし,療養所の苦しい生活にも耐える心の支えとなってきた。「青松」への作品の発表をきっかけにして全国的に名を知られるようになった人もでてきた。そういう意味でいうと,この「青松」をつくることで,入所者の精神修養の面で大いに役立ったと思っている。「青松」のもう一つの目的は,島外の人にハンセン病のことを知ってもらったり,入所者の生活の様子や入所者が考えていること,辛かったこと苦しかったこと悲しかったことなどを少しでもわかってもらったりすることである。これまで発行してきた545号の中には,その時その時の歴史が刻まれている。話に聞いたことは時間が立てば消えてしまうが,このように本にし,活字にすれば,それが歴史として刻まれていく。私たちのようにハンセン病で苦しんできた者の歴史を残すことは,自分たちがこれまで生きてきたあかしとなるものである。大島という隔離された孤島で,名もなく死んでいった人たちのことを,今生きている平均年齢72歳という入所者の思いをつづったものを残してこられたことは本当によかったと思っている。私は現在71歳。これからも健康である限り,「青松」の編集にかかわり続けたい。できれば600号までは出したいと考えている。「らい予防法」が廃止されて以来,大島も外部の人が大勢やってくるなど,少しずつ私たちを取り巻く社会の様子が変わってきたが,外部の人が投稿してくれたり,読んだ感想を送ってくれたりするなど「青松」を通しても,少しずつ社会の考え方が変わってきたことがわかる。これからも,もっとたくさんの人に読んでもらいたいし,そんなものを作っていきたいと考えている。