平成15年12月20日『じんけんフェスタ2003』(サンメッセ香川)があり、
本校の子どもたち5人も参加しました。
 発表とパネル展示の両方に参加したので、少ない時間の中で、集中した作業、密度の濃い練習が繰り返されました。
 当日のリハーサルでは、緊張からか、声の出がいまひとつでした。
 そこで佐々木先生から「外に出て、お客さんに大きな声で元気よくあいさつをしましょう!」と・・・。「寒い!」「はずかしい・・・。」といっていた子どもたち。でも、いつの間にか・・・
おはようございまーーす!!
ようこそいらっしゃいました!」
 いよいよ本番です。今こそ練習の成果をっ!

 フォーラム以来の大観衆。普段から人に慣れている大島案内ひきうけ会社でも、さすがに緊張の色は隠せません。

リリリーン・・・。
「もしもし。」
「黒川ホテルさんですか?この間予約したものですが、お泊りになるかたはもとハンセン病患者さんなのですけど・・・」
「えーーーーー!?」
 私たちはハンセン病をよく知りたいという人にしか会ったことないということに気付きました。そしてこのような事件が新聞に載っていました。
 ある県が元ハンセン病患者さんに故郷に帰ってきてもらおうとホテルの人に「泊めてください。」というと最初は「いいですよ。」といっていたのに「泊まる人が元ハンセン病患者さんです。」というと「泊めることはできません。」と断られたそうです。
 わたしたちは、今みんながハンセン病を理解しようとしているのにこんな事件が起こるなんて信じられませんでした。これが差別・偏見ではないでしょうか。

 わたしたちの大島案内をもっともっと詳しくするために看護体験をしました。ハンセン病は治っているけれど、老人さんの病気にかかってしまった人を介護しました。介護をしていて入所者の人のための道具がありました。ご飯を食べるときの道具でした。
 手の不自由な人はスプーンやフォークが持てません。なので、ゴムで止めたり、プラスチックの道具をはめて食べています。
 入所者の人のお話で、手が不自由で使えない人は針が持てないのでペンチのようなもので縫い物をしていたそうです。わたしはそれを聞いてびっくりしました。今は介護員さんがしてくれています。
 もっとすごいのが手が不自由な人のタオルです。端っこに輪のようなものがついていて、手に引っ掛けて背中をすったり足をすったりします。そんな工夫そしていてすごいなぁと思いました。
 青松園の入所者の方々はハンセン病は今はもう治っています。けれど、わたしはいつも外へ出るたびに「困っていることはないかな?」と心配になります。
(3年  ひなみ)

 元ハンセン病の患者さんを見たことがありますか?
 なぜ、元ハンセン病の患者さんはほとんどの人が手足、目が不自由なのでしょう?病気の正しいことを知るために園長先生に聞いてみました。ハンセン病の菌を1億回擦ってもうつらないのにうつると思っている人が間違いで、うつらないのが本当です。ハンセン病を知らない人は間違って差別をしてしまいました。
 園長先生は入所者の方の後遺症の治療と共に、心のケアもしています。差別を受けた傷ついた心を元に戻そうと頑張っています。園長先生の言葉で一番印象に残っているのは「差別は知らないことから始まります」といっていたことです。
 今、入所者の人はどんな所に住んでいるでしょう?
@牢屋のようなところ
Aぼくらと同じ
B狭いところに何人もいる
 正解はAです。@はアメリカから来た新聞記者の人が思っていたことです。今は楽しく入所者の人は暮らしています。
 ぼくたちは交流を続けているうちに、Tさんと仲良くなりました。Tさんは優しくて、一緒にカラオケ大会で歌ったりします。入所者の方々はみんな病気の後遺症はあるけれど、得意なことや生きがいを見つけています。
 ぼくたちが一緒にしている陶芸クラブでは、毎年お茶碗やお皿などを作っています。

 ふれあい夕食会では、一緒においしいご飯を食べたりしています。一緒に花火をしている時に入所者の人が「花火なんて何十年ぶりだろう。」と言っていました。

 ふれあい運動会では入所者の人も運動会に参加して体を動かしていした。
 ふれあい収穫祭では、寒い中来てくださって入所者の方は体を温めていました。

 ふれあい茶会では自分たちの作ったお茶碗でお手前として入所者の人に出しました。
(3年  こうせい)

 大島は瀬戸内海に浮かぶ周囲約7.2キロの小さな島です。大島の中には国立療養所大島青松園があります。私たちの学校も大島の中にあります。私たちはボランティアや総合学習で大島の案内をしています。大島の案内をすると共に入所者の人のお話を島外から来た人と一緒に聞いて自分たち自身の偏見もなくそうと考えています。
 今からわたしたちがしている大島あんないひきうけ会社へお連れしましょう。
・・・ここは風の舞です。コーンのようなかたちになっているところは天上です。天上は天になるべく近くという意味です。プリンのようなかたちになっているところは天下です。天下は地球の万物を表しています。まるい椅子のようなかたちになっているところは円座です。円座は死者と生者が意識でお話ができるといわれています。そしてこの風の舞の意味は、風に乗って入所者の人の魂だけでも故郷に帰れるようにという意味で、1992年に1000人のボランティアの人の手で作られました。・・・
 今説明したのは大島案内のごく一部です。また機会があれば大島に来てください。連絡していただければいつでも案内します。よろしくお願いします。
(6年  さつ)

ぼくたちは、入所者の人たちと交流しているので仲良くなりました。そして色んな話をしてくれました。その中には楽しい話もありますが、昔あったかなしい話もありました。
 うちわの上にお金を置きます。みなさん、この意味がわかりますか?
 ぼくはMさんにおつりの話を聞きました。

 Mさんが買い物をしておつりをもらうとき手を出したのに、うちわに乗せたり、地べたに置いて返されたりしました。ハンセン病はうつる病気、怖い病気だと思われていたからです。
 Eさんが船の話をしてくれました。その船は、席が上と下で分かれていて、下が入所者で、上が職員でした。入所者は人目の付かない所に降ろされたこともありました。ハンセン病の人は差別されていました。
 今は、ぼくたちと仲良く乗っています。船が泊まる所は、高松の県営桟橋と庵治の港です。その船には今は誰でも乗れます。
(3年  よしのり)

塔和子さんは詩人です。

 1929年愛媛県に生まれました。15歳でハンセン病になり国立療養所大島青松園に入園しました。プロミンという薬でハンセン病は治りましたが、後遺症のため今も故郷には帰れません。
 ぼくたちは大島会館にいって風の舞の映画を見ましたぼくは映画を見て塔さんのことがわかりました。塔さんは家族から離されて、島の外にも
出られないので 故郷に続く海の方を見て泣いていました。
(4年  わたる)

               詩
                          塔 和子
ノート エンピツ 消しゴム
時間もたっぷりとった
さあ書くぞ
目を閉じて
イメージの統一
大上段に振りかぶった
この構え
いくぞ
エイヤ
エンピツの進んだあとをみると
瑞々しい詩がいっぺんねそべっていた

 発表後、お客さんに名刺を配りました。
また、ぜひ大島に来てください。
 普段の授業、行事の忙しい間をぬっての練習でした。
けれど、たった5人の子どもたちでも個々までやれることが証明できました。
 この子達の活躍に、先生が、入所者の方が、大島が元気づけられています。
 貴重な5つの島の宝です。