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読みきかせのページ

第28回 菊池寛ジュニア賞 最優秀賞受賞作品

中学校の部

「ブラボー」

作・朗読 高松市立桜町中学校 1年 紅野こうの いちご(学校名、学年は昨年度のものです)

 言葉にすると短い、そのたった一言が、大きなパワーをくれた。

 去年の秋、ピアノコンクールに出場するためにイタリアに行った。一週間の会期中ずっと滞在する必要があり、日本を出発したのは本番の五日前だった。

 これが日本国内だったら何ら心配ないのだが、国外となるとピアノ環境が大きく変わってくる。日本で泊まりがけのコンクールの際には、貸し練習室を利用するのだが、イタリアにはそれが無い。その代わりパブリックスペースに置いてあるピアノは自由に弾くことができるというが、練習室でするような落ち着いた練習はすることができないだろうし、予約もできないから弾きたい時に弾けるとは限らない。普段と全然違う環境で本番前の大切な五日間を過ごすと思うと、とても不安になった。

 もやもやした気持ちを抱えながら出発したが、到着して過ごしてみると、取り越し苦労だったと思えるようになった。

 なぜなら、毎日何かしらの形でピアノに触れることができたから。落ち着いた練習は一度もできなかったが、集中して一回弾けばそれで大丈夫だった。むしろ、その方が一回に全てを込めようとするから良い練習になっていた。

 スーパーに市場、楽器店。いろいろな場所で弾いた。ピアノもいろいろだった。グランドピアノの所もあれば、アップライトピアノの所もあった。でも、一つ、共通している事があった。それは、現地の人のあたたかい行動、そして言葉があった事。彼らのあたたかさがあったから、慣れない環境の中でも頑張れたし、一回一回の練習でベストを出すことができたのだと思う。

 市場では、もともと弾いていたおばあさんがいたが、声をかけると気持ちよくかわってくれた。一曲弾き終わると、目を輝かせて、

「もう一曲弾いて。」

という嬉しい言葉までかけてくれた。ピアノの店では、店主らしきおじいさんに、満面の笑顔で、拍手とイタリア語のシャワーを浴びせられ、褒めてくれていると感じた。また来てね、とお店のカードももらった。

 そして、テルミニ駅。ここは、日本でいうと東京駅くらいの大きな駅である。私が行ったのはちょうどピークの時間帯だったのだろう、人がたくさんいてとても賑わっていた。人混みの中を歩いていると、ベンチが見えた。もしかしたら、そう思った瞬間、グランドピアノが視界に入ってきた。この日はコンクールの前日だった。良いリハーサルになる、そう思って、迷わずピアノに近づいた。

 最初の一音を鳴らした瞬間、まわりの人の意識が集まったのを感じた。弾きながら顔を上げると、たくさんの真剣な目に出会った。とても心地良い緊張感だった。今まで自分が積み重ねてきた練習の成果をたくさんの人にきいてもらえるのはとても幸せなことだ。

 私はここで三曲、時間にすれば十分程弾いたが、その空気は一度も途切れることがなかった。最初の一音から最後の一音まで、ずっと耳を傾けてくれた。

 そして、最後の音が消えた瞬間。

「ブラボー!」

 大きな拍手と共に、嵐が起こった。みんなの顔を見ると、自分の演奏を認めてくれたように感じ、胸がいっぱいになった。

 そして迎えた翌日、コンクール本番。市場で出会ったおばあさん、ピアノの店のおじいさん、テルミニ駅でベンチに座っていた人たち。みんなの顔が思い浮かんだ。曲を弾き始めると、駅での緊張感がよみがえってきた。自分の奏でる音楽に注目してくれる人がいる。一言も話したことのない人がわざわざ真剣に聴いてくれる。そのことが私の背中を押してくれた。そして、その演奏を聴いた後に、ブラボーと言ってくれる人がいる。ブラボー、と言ってもらった時の強い喜びは、とても鮮明に残っていた。認めてもらえた喜びが、やがて自信に変わり、大きなパワーにつながった。私にパワーを与えてくれた全ての人に届ける想いでピアノを奏でた。

 たくさんの人に支えられた演奏で、二位を受賞する事ができた。

「ブラボー」

 一番の言動力となったのは、この一言だろう。声援が力になる、なんて正直信じていなかったけれど、本当だった。たかが一言、されど一言。言葉の力を侮ってはいけない。

 みんな、何かしらの不安や悩みを抱えながら生きている。彼らの背中を押すのは、周囲のちょっとした一言なのかもしれない。すごい。感動した。これらの感情を素直な言葉に表していきたい。

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