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第28回 菊池寛ジュニア賞 最優秀賞受賞作品
小学校の部
作・朗読 高松市立国分寺北部小学校 6年 井上 紬(学校名、学年は昨年度のものです)
私は幼稚園の三年間、登園拒否をしていた。小学校に入学してももちろん、行きたくなかった。毎朝五時には、目が覚めてしまい、母に「今日はお休み?」「行きたくない」と訴え、家族に心配をかけていた。
そんな私の将来の夢は小学校の先生になることである。この話をすると幼なじみや昔からの知り合いの人たちは、「あんなに泣いとったつむちゃんが!!」と口をそろえておどろく。
私が小学校の先生になりたいと思った理由は、ある先生との出会いからだった。
小学校に入学してからしばらくは、給食がのどにつっかえ、家では食べられるものも学校では食べられなかった。特に牛乳は、二〇〇mlもあるパックを見ただけでも戻しそうになった。先生は、マイコップを持ってくるように言ってくれた。そこにほんの一口の牛乳を入れ「これだけ頑張ってみな」と言った。あとは先生が飲んでくれた。気持ちがすごく軽くなった。その日は母に「こんなに少しの牛乳なら、私にも飲めたんよ」とうれしそうに話したものだ。
しばらく経つと入れてくれる牛乳の量が少しずつ増えていった。
私の様子を毎日観察してくれていたのだろう。だんだん慣れていき、牛乳の量がたいして気にならなくなってきたが、私は増やされたくなかったので、だまっていた。先生は「そろそろもうちょっと飲めるやろ」と鋭いところをついてきて、私の頑張ろうと思えるタイミングぴったりに合わせて量を増やしてくれた。
一気に飲み干すと「飲めるやん」とサラリとほめてくれた。私はほっとするとともに嬉しい気持ちになった。そうしたやり取りが続き、二年生になるころには、二〇〇ml全部飲めるようになっていた。
今思うと牛乳が嫌だったのではなく、新しい環境に不安で仕方なかったのだ。そんな私の気持ちをじっくり観察して、私のペースを見て付き合ってくれた先生は素晴らしいなあと思った。
先生が大好きになり、先生となら安心して過ごせるようになった。しかし、友達とはほとんど関わりを持とうとしない私だった。すると、今度は私がなじめるように、友達と協力してするような頼みごとをしてきた。「ももちゃんと手紙を取ってきて」「給食の食器を一緒に運んできて」など、友達と関わるようにしてくれた。手伝うことがきっかけとなり、だんだん友達と仲良くなっていった。
これまでずっと集団生活になじめなかった私を心配し続けていた家族も、先生に信頼を寄せた。最初の懇談では、気持ちが暗くなっていた母に、「この子は、力を持っているからすぐに発揮してくれると信じている」と力強く言ってくれたそうだ。毎日迷惑をかけているのに、まったく気にしない様子でいてくれたのである。
先生が担任ではなくなるころには学校が楽しくなり、自信をもって生活できるようになっていった。それから私は、友達関係などに悩んだときは先生のクラスに足を運んだ。そのたびに特にアドバイスをもらうわけではないが、顔を見ると、何だか元気が出た。
ある日、先生が他の小学校へ異動になったと聞いた。言葉が出なかった。家に帰って母に話すと思わず涙が出た。存在が心のよりどころになっていたのだ。
家でお別れの手紙を書いていると、感謝の気持ちと共に私も先生のような一人ひとりの子どもと向き合っていける、その子の成長を後押しできる先生になりたいと強く思った。
いつかどこかで私も先生のようになって一緒に仕事がしたいと書いた。お返事には、「大人になったとき私を見てがっかりされないようにそれまで精一杯努力をしていくね」と書かれてあった。心の底から嬉しく思い、これからの目標ができた。
私は今、素敵な先生になるために勉強時間を増やしている。きちんと理解できているか解き方を父に聞いてもらい、人に教える力が付くように練習している。また、学校では一年生の教室へ行き、一緒に遊んだり、困っていることについてたずねたりしている。泣いている子の気持ちは人一倍分かるので、泣き止んでくれるように自分がしてくれてうれしかったことをするようにしている。
毎日通っているうちに泣き止んでくれたり、手紙をくれたりしたことは、私の喜びになっている。これからも、夢に向かって努力を惜しまず、人の気持ちを感じ取れるようになりたい。
そして大好きな先生と一緒に働くことができる日を楽しみにしている。
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